3月11日

6年前の3月11日は妊娠6ヶ月だった。

 

お昼時の会議の後、他部署の人に会ったり待ったりで、地下一階のインド料理屋でカレーを食べていた。新宿駅近くの高層ビルで、ぎしぎしっと大きく揺れた時に下手に外に出ると上からガラスやビルの外壁が落ちてきて危ない、と思ったので最初はそのまま中にいようと思っていた。

 

1度目の揺れの後、やっぱり怖くてこのまま瓦礫の中に埋もれてしまうんだろうかと思うと、我慢できなくて外に出た。幸い、コート、ノートPCと荷物は全部持ってきていた。外に出て、しばらく立っていたけれどお腹は大きいし曇り空で寒くて座りたかったので、もう一度中に入った。オフィスは30階にあり、エレベーターが止まっていたので上まで登ることはできなかった。

 

レストランの人たちに声を掛けて、もう一度店に入り座らせてもらった。もう一度揺れた。怖かった。もう一度外に出た。

 

しばらく外に立っていた。携帯電話は繋がらず、メールもなかなか届かなかった。一体どうなるのかと怖かった。

 

Facebookで突然前の会社の同僚がコメントしてきた。普段それほど話をするような付き合いでも無かったので、彼女も怖かったんだろう。1時間ほど経った頃に夫と連絡が取れた。メールだったか、SMSだったか。

 

新宿から明治通り沿いに歩いて帰ることにした。妊婦とは言え、体力には自信があったし、新宿から家までは昔から歩いたり自転車で行き来していたので道に迷う心配は全く無かった。

 

2時間ほど新宿から明治通り沿いに歩いた。新宿駅横の大きなスクリーンには、被災地の様子が映し出されていて、道路は大渋滞だった。歩道もお祭りか何かのように大混雑だった。ヘルメットを被っている人たちが羨ましいなあと思った。前の会社の防災セットにはヘルメットが入っていたのに、と考えていた。時々不安になって、頭の上にノートPCを載せてみた。途中のコンビニに寄って、水やお菓子を買った。

 

池袋まで着いた。先に家に帰り着いた夫が上池袋まで車で迎えに来てくれた。待っている間、近くのスーパーで食べ物を買っておいた。体力には自信があったけど、薄暗くなって来て歩き続けるのが少し不安になって来た頃だったので、安心した。

 

子供は実家の母が迎えに行ってくれて、そのまま預かってくれていた。最初、夫に子供はどうなったかを聞いても返事がなかったのですごく不安だった。

 

家は一見問題なさそうだったけれど、地震直後は2階の給水管が外れて水漏れが起き、真下にある和室が水浸しになっていた。

 

同じ保育園に子供を預けていた子のお母さんは、新宿駅の反対側で勤務していたけれど、バスやタクシーに並んで帰ろうとしていたら、結局家にたどり着いたのは夜11時になったと言っていた。

 

その日の夜は実家に泊めてもらい、眠ろうとしたけれど余震とそのせいで壁が軋む音、横にあるタンスが倒れて来たらどうしようかと考えてなかなか寝付けなかった。

 

今は新宿よりも遠い場所、そして36階にいる。昨日ちょうど自転車でオフィスのある場所まで行ったけれど、今度地震があって交通手段が無くなったらどうなるだろうか。会社で避難して残らなければならないとしたら、子供達のことが心配でたまらないと思う。

 

前よりも遠いところから帰る途中に、自分に何かあったらどうなるのだろうか。夫は前回のように地震の直後に家に帰って来てくれることはない。自分は子供たちのところにすぐには戻れない。道も距離が長く、前よりもずっと不案内な場所で、都心を通り抜けて行かなければならない。

 

ついさっき、「働けECD わたしの育児混沌記」を読みながら、今度地震があったら、もう自分なんて瓦礫の下敷きになって見つからなくてもいいや、と考えたりもした。もう何も残っていない気がするから。子供達は私がいなくなったらきっと悲しむんだろう。会社の同僚たちも、何人かは悲しんでくれるんだろう。でも夫は私がいなくなってもきっと悲しくないと思う。きっとせいせいするんだと思う。